Lispは万能ではない
プログラマであれば誰しも「Lispは神の言語」であるというジョークをしばしば目にすることがあるだろう。もしLispが神の言語であれば、それは万能のツールとなり多くのプログラマが救いを求めて使用しているだろうが、現実はそれとは大きく異なる。人工知能と深いかかわりがある、LispでLispを書いて実行することができる、そういった歴史的または稀有な言語の特徴を指して人が神の言語と呼ぶのであればそうなのかもしれない、しかし、現実の問題を解く際の最適解に常になり得るかといえばそんなことはない。どちらかといえばLispはLispが得意とする分野が限定的であるとさえいえる。
Lispは悟りを開くためのものでもない
Eric Raymondは「How To Become A Hacker」で次のように述べている;
LISP is worth learning for a different reason — the profound enlightenment experience you will have when you finally get it. That experience will make you a better programmer for the rest of your days, even if you never actually use LISP itself a lot.しかしながら、Lispを使い始めて4年になるが悟りといったものを開けたと思ったことは一度たりともない。むしろ使えば使うほどに目の前に聳え立つ大きな壁のようなものがLispの限界を知らしめてくる、そんな気にさえなる。全く異なるパラダイムの言語を複数習得する過程で悟りが開けるのかもしれないが、それであればCとC++を学べば悟りを開けることになる。
プログラマは強力な言語を使うべきである
現実の問題は数学のそれとは違い公式があるわけではない*2。正しい答えというものも存在しないかもしれない。その際に使うツールは思考の疎外をしない柔軟でかつあらゆる局面に対して対応可能なものであるべきだ。プログラミング言語はそれぞれに得意とする分野があり、銀の弾などありはしない。であれば、最も手になじむものを複数個選び局面に合わせて使い分ける他に最適な手はないだろう。
私自身の問としては、Lispはどうか?ではなく、Sagittariusはどうか?にならざるを得ない。この一年で果たしてて最も手になじむツールになりえただろうか?答えはYesでもありNoでもある。Sagittariusはこの一年で大きく向上した。ライブラリも充実し、現実の問題に立ち向かえる程度には手になじむようになった。だがここはまだゴールではない。時としてそれがもつ制約や利便性の欠如によって思考が疎外されることがある。いかなる時でも最適解でありえるというのがゴールであれば、ゴールなどありはしないのかもしれない。
一年は長いようで短く、短いようで長い。Sagittariusが今年の初めにどのような姿をしていたのか思い出せない。来年もこの感じがまた味わえるような一年にするとしよう。
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