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2015-08-17

プログラミングにおける公私

駄文

高校で物理の教師が担任だったときに「数学に疲れたら国語を勉強して気分転換して、一日10時間勉強する」とか言われた記憶がある。勉強すること自体に疲れるのにどうやって別科目をやって気分転換するんだ?と疑問に思ったことがある。あれから15年ちょっとなんとなくあの教師の言っていたことが分かった気がする(遅い)。

僕の職業はプログラマで趣味(の一つ)もプログラミングである。職場で書くコードは大なり小なり制約があり思い通りに書くことはできない。言語の制約だったり(Java辛い)、積みあがった糞を崩したくないという精神的枷であったり、あんまり深く追求したくないという己の弱さだったりとまぁいろいろだ。例えば今の職場は、ユニットテストを書く習慣があんまりないかつテスト自体を書くのが驚くほど辛いので既存のコードを弄るのが怖いという個人的には致命的な枷があり、コードを書くのが辛いのである。(そんな環境を変えるという選択肢もあるかもしれないが、そこまで会社に思い入れはない+現状を変えたくないのに権力を持った人がいるので戦ってまで変える気もない。給料分だけ働きます状態。)

そんな状況でコードを書いているといろいろとストレスがたまる。特に現状を変えないように無理やりAPIに切り出す作業とか個人的に大分辛い。そうすると趣味で書いてるプログラムで思いっきり変更加えてストレスを発散しているのである。まさに「プログラミングでプログラミングの疲れを取る」という傍から見たら意味不明なことをしているわけだ。

プログラミングの一つの醍醐味として、自分の思ったとおりのプログラムを作ることができる(可能性がある)というのがあると思っていて、それは例えばパズルのピースがぴったりはまるような感覚で上手く抽象化できたとか、本来なら1000行くらい書く必要があるものを100行まで圧縮できたとか(マクロ中毒)、形は違えど思い通りになる感覚がいいのである。個人的にはこれが得られないとストレスになるらしく、どうしようもなくコピペが要るとか、あまりに酷いコードだけどテストがないから直せないとか、仕事で書くコードはそういったものが趣味で書くものより多いみたいである。

自分が書くコードがきれいとか上手いこといっているとは思わないし思えないが、それでも思い通りに書き換えることができる(もちろん動作は変えないで)というのはやはりストレスを発散することができるようである。特に不要なコードをばっさり削ったときの爽快感は一度味わうと止められない。趣味のプログラミングで気分転換をするときは何かしらがごそっと変わっている可能性がある。いいか悪いかは言及しないことにする。

取り留めなく終わり。

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