言語間の距離
日本語は欧州で話される言語から見ると最も遠いところにある言語の一つである。(参照: Language Difficulty Ranking - Effective Language Learning) これはどうしようもない事実なので受け入れるしかない。思えば中学で初めて英語に触れたときに、日本語との類似点を見出せずとにかく意味不明なものであった記憶がある。ELT(今はALTか?)で来てたアメリカ人(だったはず)に「英語好きか?」と
聞かれて「パズルみたいだから、好きだ」と答えたのだが、答えられた方は意味が分からないという顔をしていた気がする。それくらい意思疎通の道具ではなく、何かしらクイズみたいなものだったということである。
オランダではオランダ語が話されているというのはある意味当たり前で、6年も住んでいれば多少は喋れる、理解できるようにはなるのだが(もちろんそれなりには勉強しているが)、僕の中のオランダ語は基本的にオランダ語との距離が近い英語をベースにしている。英語とオランダ語の間は割りと一対一の関係に近い。それとは逆に日本語と英語の間には言語間の意味を言語ではなくイメージで捉えるような抽象的な層があるように思われる。これら3つの言語の関係を図にするとこんな感じになる。
+-----------------+ | | | Dutch \ | |\ +-------++--------+ \ || \ || \ ......... || \ ........... ...... || \ ..... ... || \ ..... ... +-------++--------+ \ ... .. +-----------------+ | +--------.. ..----------+ | | English +------.. Abstract language layer ..---------+ Japanese | | +------. ..--------+ | +-----------------+ .. . +-----------------+ .. .. ... ...... .. .. ............ ................線が多い方が密に繋がっているとする。日本語と英語の繋がりは(例外もあるけど)大体言語ではない何かで繋がっている感じ。なので英語で話してるときは日本語で考えることが辛い。逆もまた叱り。逆にオランダ語は抽象空間を経由しないので割りと簡単に英蘭をスイッチできる。言語間の距離が離れている言語を学習する際はこの違いを吸収する層の構築が重要になるのではないかと思っている。
オランダ語話者から見た英語
そこまで具体的に聞いたわけではないのだが、オランダ語を母語とする人からみた英語というのは母語+α(下手するとマイナスα)くらいの感覚のようである。学校で一応文法や英語の文章がどのように構築されているかとかやるらしいのだが、学校でやったら後は忘れても問題ないくらいで細かいことは気にしなくても喋れるようだ。人の頭の中は覗けないので実際のところはどうかは分からないが、おそらくこれくらいの勢いで繋がっているのであろう。
+-----------------+ | | | Dutch | | | +----+++++++++----+ ||||||||| ||||||||| ||||||||| ||||||||| ||||||||| +----+++++++++----+ | + | English + | + +-----------------+方言とまでは行かないが、かなり近い言語であることは間違いないのでここまでではないにしろ英語を話せるオランダ人の中ではこれくらい近いものではないだろうか。なんともうらやましい限りである。
オランダでは(多分欧州の多くの国では)高校卒業までに少なくとも2ヶ国語を学ぶのだが(オランダでは英語とフランス語かドイツ語)、どちらの言語も日本語に比べればはるかに近い、それこそ限りなく0に近いレベルなので(言いすぎだが)上記の図の近くにもう一つ言語が追加されるレベルのものだろう。
オランダ語話者から見た日本語
実はこれが本題。当然だがオランダ語と日本語にはほとんど類似点はない。文法、発音、動詞の格変化挙げればキリがないが、本当に何一つない。まぁ、これは英語でもいえることではあるが。これくらい何もないと学習するさいの取っ掛かりがないように思える。平面に点が2つあるだけとかそんなレベル近い気がする。(これは憶測だが)それまで言語学習といえば母語と紐付けて考えることができたものが、いきなり手探りになるので近寄りがたい感じになるのではないだろうか?
個人的には一度抽象化の層を構築してしまうとなんとなく他の言語を学習するコストが下がる気がしないでもない。もちろん発音とか聞き取りとかは物理的な問題があるのでそれなりに時間がかかるが、頭の中の切り替えは大体同じようにできる気がしている。
なんでこんなことを思ったかというと、日本語を話したい言ってはいるがこの取っ掛かりのなさに絶望気味になっているという話しを聞いたのだ。僕はこの絶望も20年前に味わっている+義務教育という性質上克服する以外に逃げ場はなかったのでなんとなくなんとかなってしまったという。ひょっとしたら言語の距離というのは一度克服してしまうと後は楽になるのではないのかなぁ、と思ったのであった。オチなし。
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