2011-12-12

英語に対する感覚

前に英語で書いた記事にコメントが付いていた(スパム扱いされていたので気づくのに遅れた)。
これはそのコメントを読んでちょっと気になったことについて。

前置きとして、批判的な意味合いはまったく無く、コメントやご指摘がいただけるのは非常にうれしいことだと考えています。もしここから以下を読んで不快に思われたらごめんなさい。ということで一応分けてみる。やたら長くなったし。



いただいたコメントは僕の拙い英語に対してのご指摘だったのだけど、ふと思ったのは「何故英語の記事にだけそんなコメントが着いたのだろうか?」ということ。もう少し端的に言えば、「僕の拙い日本語も指摘してほしいなぁ」ということ。
まぁ、それだけではツイッターレベルなのでもう少しそれについての考察。何故それが気になるのか?もちろん個人の感性にもよるのだろうが、例えばそれが日本語で
生地を感想させないように霧吹き等で湿らせておきます。
と書かれていたとしたら、果たして突っ込みを入れるだろうか?僕なら「変換ミスかな?」と思うだけでスルーしてしまうだろう。それがいいか悪いかは別として。また、
僕わ今日コンビニに行きました。
と書いたとき、文法的におかしいがまぁ意味はわかるなぁとスルーする自身がある。(または最近の女子高生的文と解釈するかも。。。古い?)
ここでは一つ目が英語ではスペルミス、二つ目が3単元のsを付け忘れたといった感じのミスになると仮定する。こう考えたとき日本語だと「まぁいいか」だけど、英語だと「突っ込むか」となるのはなぜか?そこには英語教育によって「完璧な英語」を話す、もしくは書く必要があるという思い込みがあるのではないだろうか、と僕は考える。(単に母語じゃないので勉強の手助けというボランティア精神もあるだろうが)
そもそも、「完璧な英語」とは何だ?という疑問もあるのだが、もう一つ重要な点として「完璧な」言語を話す必要はないという点だ。もちろんスムーズに意思疎通できるというのは疑いも無く重要な点ではあるが、それには「完璧」である必要はないのだ。(実際、僕の拙い英語でもオランダで生活も仕事もできてるわけだし)
では、何故完璧をめざすか?個人的には、日本で英語の「勉強」をしているとそうなるんじゃないかなぁと思う。何故そう思うか?もちろんその人の目指すところによるだろうが、例えばTOEICを見てみると、テスト形式の英語能力検定試験なわけだ。英検もしかりだが。となると答えが決まっている設問を答えるということになる。答えが決まっているということは、「完璧」が存在することになるわけだ。
でも、例えばあなたの言いたいことには答えがあるだろうか?一つの物事を表すのに複数の選択肢があるというのは常のことだと思う。 もちろんそれは英語にも当てはまる。(もちろんオランダ語でもね)。

長くなってきて、面倒になってきたので結論。
他言語を学ぶ際は気楽に構えた方がいい。答えはいつも一つじゃないし、最も重要な点は自分の考えを他人に理解してもらうこと。

単に最近英語の勉強していない言い訳とも言う。
こんなこと書いておいてなんだけど、もし英語の記事に文法的間違い等あればどしどし指摘してくださいm(_ _)m

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